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   vol.2 「大学〜日本大学米式蹴球部フェニックス」
 

―大学ではゴルフ部に入らなかったわけですね?

 

N・はい。高校は日大の付属校ですから、進学は日大になります。高校時代からアルバイトでお世話になっていた練習場に日大ゴルフ部のレギュラー格の先輩がいらっしゃって、いろいろと日大ゴルフ部の内情を聞かせてもらいました。そこで感じたのは、いわゆる「日大ゴルフ部」という組織が自分のゴルフを導いてくれるものではないということです。全日本クラスのトップジュニアが集い、そういう選手たちが伸びていくための場所だと思いました。自分が行く場所ではないと感じたのです。

 

―でも大学には進学した?

 

N・高校3年の11月第2週に日大への進学を決める「統一テスト」というのがありました。これは全国の付属校からの日大への推薦入学を決めるためのテストで、全国で同日同時刻に一斉開催されます。この頃にはシャンク病でゴルフへのモチベーションも落ちていました。でもそこそこの学部に入って有名企業に就職するというようなイメージは一切ありませんでした。そこで自分の人生を決める決断があったのです!

 

―それは・・・?

 

N・日大のアメリカンフットボール部「フェニックス」に入部しました!もともと楕円形のボールを追い掛けたいという夢もあって、ラストチャンスかな?と思いました。また高校時代の親友が皆アメフト部だった影響もあります。桜丘高校はアメフトも名門で全国クラスです。でも体育の授業ではアメフト部の彼らに負けない運動センスを発揮していたと勘違いしていましたから、その勘違いをもとにアメフト部の親友に「オレ、大学でフットボール出来るかな?」と聞いたら、「お前なら出来るんじゃない?」と言われて決心しました。大学で4年間アメリカンフットボールをやって、学校の体育の先生になろうと思いました。

 

―ゴルフとの関係は?

 

N・表向きは学校の先生になるということでしたが、実は私、泳げません・・・。ですので、そのせいで体育の教師にはなれなかったというのを口実に、大学卒業後にゴルフ場の研修生になってプロを目指そうと密かにたくらんでいました。多分4年間のフットボール経験で体力は抜群につくはずですから!

 

―アメフト部はどうでしたか?

 

N・楽しい思い出や苦しい思い出が沢山ありますが、私自身は夏合宿を終えて秋のリーグ戦が始まった頃、フェニックスを退部しました。いわゆる「脱走」です。

―何故、そのような行動に出たのですか?

ちょうどアメフト部の夏休み中に、浜野GCで「日本プロ選手権」が開催されました。その大会に先輩のプロゴルファーが出場していたので応援に行きました。その時先輩は倉本昌弘プロと回っていて、暑い中先輩が必死にプレーする姿と、倉本プロがボギーを打つ姿が印象的でした。「トッププロでもボギーを打つんだ・・・」と真剣に思いましたからね。それを機にゴルフへの想いが高まったのも事実ですが、それ以上にフェニックスの生活が辛かったのも事実です。私には「アメリカンフットボールがやりたい!」という想いがあったのですが、体育会の1年生部員にとってそれは奇麗事の世界です。フットボール以外の部分でのプレッシャーが厳しく、それに負けたといえます。でもまだ自分にはゴルフがあると思えたので、かなり甘い部分があったのだと反省しています。当時はそのことで、親友たちに迷惑をかけました。彼らはその後さらに厳しいフットボール生活を継続し、4年時には大学王座と社会人チームを破っての日本一(三連覇達成)になりました。

 

―ではそこで何かを得たのでしょうか?

 

N・私がフェニックスで学んだのは、「日本一を目指す」ということがどんなものか?と言うことです。練習時間に練習環境、精神的なモチベーションにプレッシャー、さらには肉体的な要素や生活環境など・・・。これは私のレベルではゴルフの世界から学ぶことが出来なかったと思います。当然自分はゴルフのプレーヤーとして、このレベルに身を置けたことはありません。だからプレーヤーとしては三流以下だと自覚しています。

 

―ではゴルフでどのように役立っているのですか?

 

N・高校大学の親友たちがアメフトの世界で日本一になっているので、自分も負けないように頑張りたい!というモチベーションは常にありました。自分のゴルフに対しては、彼らから学んだような厳しさを追求することは出来ませんでしたが、二十代の後半頃からはゴルフのティーチングやそれに関係するメディアの仕事で、彼らがやってきたのと同じくらいの「量」をこなせているかな?と思えるようになりました。日大名物のショットガンフォーメーションは、徹底した反復練習によってクオーターバックとレシーバーの阿吽の呼吸を練り上げていきます。最近では「練習時間が長いのは非効率的の代名詞」という風潮もありますが、徹底した「量」を積み上げるには時間がかかって当然です。それに私の場合はそれが生業ですから、「量」をこなさせて頂くことは本当にありがたいことです。こうしてティーチングの仕事に没頭するようになってからそろそろ10年が経とうかという頃に、レッスンオブザイヤーを受賞することが出来ました。これは本当に嬉しかったです。大学の同期の友達とは今でもいろいろな付き合いがありますが、やっと仲間に入れてもらえたように思います。

 

 

クョスコニョ    [1] 
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